下記4/9、朝日新聞に連載の池澤夏樹氏・作、「また会う日まで」244に逓信省の前田憲一君の番と言う記述があり、これは我々が京都大学工学部電気工学科で、電波工学を教わった前田憲一教授ではないかと思った。
それで京大電気・電子工学の学友に下記如く確認のメール。
(有志の方が名簿を作成・管理され、いつもメンテされている)
本日(4/9)朝日新聞に連載の池澤夏樹氏・作、また会う日まで(添付)に逓信省の前田憲一君の番
と言う記述がありますが、これは我々が電波工学を教わった前田憲一先生ではないでしょうか。
ローソップ島の日食観測は1934年2月14日で、丁度下記とも符合します。
4/9 本田
下記はインターネットよりコピペ
《1934年2月14日、太平洋に浮かぶ日本統治下のローソップ島で皆既日食が観測できる。国内外の研究者が集められ、水路部のわたしは調整役に。観測隊を乗せた軍艦「春日」は1月15日に横浜を出港、現地で準備が着々と進んでいた。》
前田 憲一(まえだ けんいち、1909年8月1日 - 1995年10月14日)は、日本の電波工学者。学位は工学博士(京都帝国大学)。
主に、電離層における電波の反射についての基礎研究を行った。なお、この研究成果は携帯電話に利用されている。
- 1929年3月- 大阪高等学校卒業
- 1932年3月 - 京都帝国大学工学部電気工学科卒業
- 1932年4月- 逓信省電気試験所研究員
- 1932年6月- 逓信省電気試験所平磯出張所在勤
- 1941年3月 - 工学博士(京都帝国大学)
- 1946年12月- 電波物理研究所所長
- 1953年2月- 京都大学教授
- 1973年3月 - 京都大学名誉教授
- 1991年1月- 日本学士院会員
- 1995年10月- 京都府京都市にて死去
その結果、お二方からその通りと回答があった。
恩師の若き日のご活躍が新聞小説に登場するのは大変珍しいことではなかろうか。
本田様
留岡です
そうです。我々が教えて頂いた前田先生です。京大洛友会名簿で前田憲一氏は
昭和7年(1932年)卒業の方唯一人です。
先生は講義の中で電波研究所に居られたとを言ってられたのを記憶しています。
本田さん
懐かしい先生の記事送付、有り難うございました。
間違い無く前田先生だと思います。
先生は当時電気試験所(電波研究所)に居られ、電波伝搬の研究をしておられたので、
太陽コロナの観測に参加されたのでは、と推定されます。
先生は電波伝搬分野では恐らく日本での第一人者であられたと思われ、
その後京大へ帰られる前は旧電電公社の武蔵野研究所の基礎研究部長を
されておられたと記憶します。
京大に帰られてから宇治に電離層研究施設を作られたのも前田先生です。
久しぶりに懐かしい想い出を有り難うございました。
川野 家稔