京都 百万遍・本能寺界隈散策
京都大学本部構内を出て以降:
交差点の北は高野(たかの)
東に銀閣寺
(*)インターネットよりコピペ
百万遍交差点(ひゃくまんべんこうさてん)は京都府京都市左京区にある交差点である。東西に走る今出川通(京都府道101号銀閣寺宇多野線)と南北に走る東大路通(京都市道181号京都環状線)との交点に位置する。
「百万遍」の名は交差点の北東に位置する知恩寺の通称「百万遍」に由来する。元弘元年(1331年)に疫病が大流行したときに、知恩寺の八世善阿空円上人が百万遍念仏を唱えたところ疫病が収まり、後醍醐天皇から百万遍という号を賜ったと伝えられている。
百万遍交差点
毎年12月下旬に京都で行われる全国高校駅伝・男子では東大路通を北上、この交差点を右折し今出川通を東に走る(女子はずっと手前で折返し)。
京都観光案内
出町柳駅から西へ、加茂大橋を渡って直ぐ
出町商店街
枡形
(学生時代、銀閣寺町の下宿から近かったが一度も行っていない。昔からアーケード商店街を歩くのは好きだったが、通学時は大学の学生食堂で食事をし休日は下宿近くの、先が銀閣寺参道に続く疎水に架かる銀閣寺橋のたもとに2,3軒あった学生向け食堂で済ませるので枡形に行く必要が無かった。生活圏が狭かったのと、残念ながら行動力も無かった。それが今では日本国内47都道府県は言うに及ばず、世界140カ国・地域・数百都市に行っている)。
枡形から河原町通りを下る。
京都市役所の先
本能寺
美よし
天ざるうどん
三条大橋東詰南側
高山彦九郎正之(**)皇居望拝之像
(**)インターネットよりコピペ
高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の武士、尊皇思想家。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。諱は正之。