宮本武蔵は気のいいおじさん?

10/29、朝日新聞夕刊p.7

宮本武蔵は気のいいおじさん?

隣家が温泉旅行 衣装箱預かる

 

上記記事の2段目下9行目
熊本大学永青文庫研究センターの稲葉継陽センター長

宮本武蔵に関する言がある。

一方、私は永青文庫研究センターと言えば下記で登場の橋本麻里さんを思い出す。

大変な美人である。

(鈴木歯科が登場)

橋本麻里さん

(再掲)

f:id:hondatad:20200207105850j:plain

 

先ず、宮本武蔵と言えば熊本・金峰山・霊厳洞を思い浮かべる。

以下、インターネットよりコピペ

細川忠利の招きで寛永17年(1640年)に肥後に来た宮本武蔵が、生涯の集大成ともいえる兵法「五輪書」を記した洞窟である。
霊巌洞は周囲を古木で囲まれた、金峰山の裏側の絶壁に大きく口を開けており、武蔵はこれを書き終えた一週間後に没したとのエピソードも伴って、辺りには凛とした荘厳さが漂う。洞内には岩戸観音が安置されており、壁面に刻まれた東陵の書も必見である。霊巌寺内には武蔵が佐々木小次郎と決闘した時の木刀も保存されている。全国から多くの武蔵ファンが訪れる。 

 

宮本 武蔵(天正12年〈1584年〉? - 正保2年5月19日1645年6月13日)〉)は、江戸時代初期の剣術家大名家に仕えた兵法家芸術家二刀を用いる二天一流兵法の開祖。京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名である。

現代では「剣豪」または「剣聖」と称されている。 外国語にも翻訳され出版されている自著『五輪書』には十三歳から二十九歳までの六十余度の勝負に無敗と記載がある。

下図は私の好きな絵

枯木鳴鵙図
(こぼくめいげきず )

武芸者 宮本武蔵は、墨画を善くし、二天の号をもって知られる。その画技は減筆体を特徴とし、同様の作風を示す海北派や長谷川派との関連も考えられるが、特定の師や作画時期については詳らかではない。身動ぎもせずに鋭く目を据える鵙と枝をゆっくり這い上る虫。すくとして残る枯れ枝と微風に揺らぐ低木。それぞれは静と動の対比において捉えられるが、次の瞬間に虫を待ち受ける運命を予測するとき、均衡が破られる前の張り詰めた空気さえ感じさせる。

 

宮本武蔵は飛んでる蠅を箸で掴んだという話があるが、コバエは掴めるだろうか?

タワマン27Fに住んでいるが、換気のためガラス戸を開けておくと、コバエがガラス戸から離れた奥に置いてあるゴミ袋に入れた生ごみの匂いに誘われ部屋に入ってくる。嗅覚が優れているし小さいのに飛ぶのも、テーブルや床の上を走るのも速い。その敏捷さに驚かされる。また、戸を閉め切り折りたたんだ新聞紙で数匹を叩いて殺し全滅させても、どこに潜んでいたのか暫くすると次から次といくらでも湧いて出てくる。大変な繁殖能力の持ち主と言わざるを得ない。(人が、高性能なマイクロ技術を発達させコバエのロボットを作ろうにも到底不可能と思われる程、自然界が生んだ素晴らしい能力である?!)