富士見市ー8 (美しき地名、鶴瀬・鶴馬ー5)

に続く。

上記では鶴馬1-1を探し求めたが見付からないと言う話だった。その過程で下記問題が見付かった。即ち、

ライオンズマンション近くの塀に取り付けの住所標識が毀損のもの2カ所あった。

住所は鶴馬一だがその下の番地部分がない。

 

もう随分永らく放置されているのだろう。

ワンちゃんも怒っている? or

泣いている?

 

本件、富士見市役所広報広聴課の岡本さん、及び東電タウンプランニング・今坂さんにメールしてあった所それぞれより下記回答あり。

東電タウンプランニング・今坂さんよりの回答

記:

本田 様

お世話になります

先のご質問のけんですが

・毀損の標識は市役所の管轄と思われます

 (弊社の取扱ではないので詳しくは分かりません、スミマセン)

・鶴馬1‐1の電柱広告掲出表示は現在ありません

宜しくお願い致します

東電タウンプランニング株式会社

埼玉総支社 広告部営業サポートグループ

今坂 弘行

 

私がそれに下記コメントを追記し富士見市役所広報広聴課の岡本さんに転送

岡本さん

毀損の標識については東電さんより下記メールを受け取っています。

私も最初から市役所が管轄だと思っていました。

1/17 本田

 

富士見市役所広報広聴課の岡本さんよりの回答

記:

本田 様

お問い合わせありがとうございます。

ご質問について各担当部署にお伝えしたところ、

今後対応方法について検討するとのことです。

よろしくお願いいたします。

************************************

富士見市役所秘書広報課

広報グループ 岡本

 

と言う訳で、担当部署が今後対応方法を検討するとのこと。

順次報告するが他にも色々問題点を指摘しており上記はそれらに対する共通の回答となっている。

(千葉県)松戸市役所の「すぐやる課」(*)なら即断即決、すぐやるのだろうが、富士見市役所は典型的なお役所仕事で、いつ結論が出て、いつ実行するのか全く見えない。富士見市こそ「すぐやる課」が必要ではないか?! 市長さん!

 

(*)インターネットよりコピペ

すぐやる課の誕生

更新日:2020年10月12日

昭和44(1969)年10月6日に「すぐやる課」が誕生しました。
当時の松戸市は、高度経済成長の中、東京のベッドタウンとして発展しており、毎年2万人のペースで人口が増加していました。市は道路・下水道・学校などのインフラ整備を急ピッチで進める一方で、「U字溝の破損補修」、「側溝の詰まり解消」、「道路上の動物の死体処理」など、市民の身近な問題についてすぐに対応できず、いわゆるお役所仕事というイメージが根付いてきました。
そこで、たらい回しを排除して迅速な解決を図るため、当時の松本清市長(ドラッグストア:マツモトキヨシ創業者)発案のもと、「すぐやる課」が誕生しました。そのユニークな名前と積極的な姿勢で注目を集め「すぐやる課」の名は全国にとどろきました。

 

富士見市ー2 (西みずほ台1-1・東みずほ台1-1)補

上記にて西みずほ台1-1

の二つ目の1が消えかかっていると報告した。

(再掲)

 

今回も電柱への広告を扱っている東電プランニング(株)より修正版を送っていただいた。

(ほぼ同じアングルで撮影されており分かり易い)

 

 

 

志木市 (柳瀬川駅西口 志木ニュータウン)補

上記にて志木ニュータウン内にペアモールと言うこじんまりした商店街があり、そこに飲食店(特にうどんそば店)があるのが嬉しいこと、及び「そばきりや薫風」と言う店名が気に入ったので次回、そば(orうどんあり?)を食べに行こうと報告した。

そして、1/13に行って来た。

 ペアモール

 

そばきりや薫風

 

メニュー

 

まず、うどんはあるとのことだった。それで

せいろうどん中盛り(350g)とトッピングとして、かきあげと車海老天(+生中)¥1,975

そば専門店ながらうどんも自家製麺とのことで美味しかった。

次は本家のおそばを食べることとしよう。






 

真白き富士の根?ー4

に続く。

インターネットよりコピペ

 和田弘とマヒナ・スターズ、松平直樹、松尾和子さんが歌う「お座敷小唄」は、東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)にヒットしました。

1964年
  • According to 2 sources
「お座敷小唄爆弾」お座敷小唄は、1964年、累計300万枚の大ヒット。 お座敷小唄は、1964年、和田弘とマヒナスターズ松尾和子が発売したシングル。
お座敷小唄 (おざしきこうた)は、 1964年 、 和田弘とマヒナスターズ松尾和子 が発売した シングル 。 本項では 1965年 に発売されたシングル「続お座敷小唄」についても記載する。
 
 

 

お座敷小唄

作詞:不詳

作曲:陸奥

歌:和田弘とマヒナ・スターズ

歌詞

1番

富士の高嶺に 降る雪も

京都先斗町に 降る雪も

雪に変りは ないじゃなし

とけて流れりゃ 皆同じ

2番

...

泣いて別れた 河原町

この歌詞は作詞:不詳ながらよく出来ている。当然ながら正しく

「高嶺」(たかね)であって「高根」ではない!

また、富士と京都先斗町(ぽんとちょう)の対比も素晴らしい。

雪に変わりは「ないじゃなし」については当時から「あるじゃなし」と言う意見があった。その通りだが許容範囲か。

私は京都大学(工学部電気工学科)の学生として4年間京都で過ごした。その間、先斗町には縁がなかったが河原町(かわらまち)はよく散策し懐かしい。今でも全国各地の河原町を歩くと思いだす。

お金も着物もいらないわ - Kastarajakお座敷 小唄 歌詞 | 有名な端唄・小唄 歌詞と解説

 

 

真白き富士の根?ー3

に続く。

私は2014/1に逗子市披露山(ひろやま)公園にある「真白き富士の嶺」の歌碑を見ている。

 

暗くて見難いが当然ながら「真白き富士の嶺」である。

 

逗子開成学園

1910(明治43)年1月23日、逗子開成中学校の生徒11名と逗子小学校の児童1名がボート遭難事件の犠牲者となった。

 

1/13放送、BSテレ東

間違いのタイトル/歌詞

「真白き富士の根」

(再掲)

富士(山)の根(っこ)とは?

意味不明である。

これでは泉下の作詞者の三角錫子(みすみすずこ)さんも泣いていることだろう。

冠雪の富士(山)が即ち「真白き富士の嶺(ね)」である。

 

 

真白き富士の根?ー2

に次ぐ。

上記では朝日新聞のテレビ欄に題記如く印刷ミス?があり情けない!と書いたものだが、当日は東武東上線柳瀬川駅上福岡駅に行っていて、念のため録画しておいた。

1/13放送、BSテレ東

武田鉄矢昭和は輝いていたスペシャル【実話を元にした昭和歌謡第二弾】


帰宅後実際にテレビ番組を観たが、出演者、制作者共に「真白き富士の根」としていることに「驚きの念を禁じ得なかった」。

正しくは「真白き富士の嶺(ね)」

出演者はMC武田鉄矢、ゲストに加藤登紀子、解説者(who?)の3人。

3年B組金八先生ならずとも「このバカチンが!」と言いたくなろう。

「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、それにも該当しない。

「0が入ると掛け算で0」の如く「馬鹿三人寄ってもゼロ」の新格言が生まれることになりそうである。もう「開(あ)いた口が塞がらぬ」。

 

朝日新聞14面 きょうの番組 13日 2段目

昭和は輝いていたSP

 

大正4年

「真白き富士の根」

作詞:三角錫子(みすみすずこ)

作曲:インガルス

歌:菊池章子

 

各地の住所表示 1丁目17番地(○○1-17)

本日は2023年1月17日

阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日(火曜日)に発生した兵庫県南部地震により発生した災害を指す。1/17はまた、私の娘の誕生日でもある。

それで各地の住所表示の1-17を特集する。

富士見市鶴馬1-17

(再掲)

 

国分寺市並木町1-17

 

町田市森野1-17

 

横浜市港北区箕輪町1-17

 

品川区戸越(とごし)1-17

 

厚木市栄町1-17

 

世田谷区代沢(だいざわ)1-17

 

逗子市小坪1-17