ドミニカ日本人農業移住記念碑
日本政府の募集に応じ第1次は1956年、28家族185人が入植。ドミニカは当時「カリブ海の楽園」と称し移住すれば開墾済みの土地を無償で譲ると宣伝。実際は不毛の地で開拓は困難を極めた。2000年、日本政府を相手取って総額約25億円の損害賠償を求め東京地裁に訴訟。2006年6月判決で時効を理由に請求が棄却された。7月に政府は移住者に「特別一時金」を支払い、小泉首相の談話を発表し、原告側も受け入れて控訴を取り下げた。
移住記念碑は実際の移住地ではなく首都サント・ドミンゴの旧市街(ソーナ・コロニアル)の南の海岸通りであるフランシスコ通りにひっそり建っている。
前日、ソーナ・コロニアルを歩いた時は行かなかったが、ホテルC/O(チェックアウト)時フロントで空港に行くためタクシーを依頼時、そこと、空港への道すがらにあるファロ・ア・コロン(コロンブス記念灯台)通ってもらい下車し写真撮影した。なお、ファロ・ア・コロンはソーナ・コロニアルのあるオサマ川西側でなく、東側にあり治安が悪いと言われているところにある。
日系移民ブラジル上陸記念碑
2006年7月、南米一周旅行のまず最初にブラジル・サンパウロに行ったが、そこからバスでサントスに行った。そこに上陸記念碑がある。