一瞬、パラリンピック?

8/14放送、 テレビ朝日 グッド!モーニング

パリ・エッフェル塔爆破予告

 

パリオリンピック(来年7月開幕)

一瞬、パラリンピック?かと思った。

 

パリに関しては下記の他、多数投稿している。

なお、私は(業務の)海外出張/(プライベートの)海外旅行併せ計106回、訪問国・地域は140、訪問都市は首都を含む主要都市数100に及び、殆どのケースが後者となる。特にパリは約20回、通算約1年ホテル暮しをしていた。ルーヴル美術館(*)には20回位入館。その都度モナリザミロのビーナス、及び回数を重ね全館の作品を観ている。メトロはカルネ(10枚単位の切符)(**)を購入し全線乗車している。

 

私はIEC(国際電気標準会議)SC22Gの日本代表委員を約10年の永きに亘り、余人を以って代え難くリタイアするまで務めていた。国際会議はパリを中心にヨーロッパ各国やアメリカ各地で開催されたが、一度私がホストになり東京で開催した。会議では欧米のメンバーの中で唯一の日本人である私が、世界No.1の技術力と説得力(英語)を以って国際規格作成に世界をリードしてきた。そして2つの国際規格を作成した。国際規格作成の主旨は各国が独自の規格とすれば非関税障壁となり外国からその国への製品輸出に参入出来ないので、それを避けるため各国の規格の上位にあり、各国規格はそれに従う義務があると言うことである。

1992/3、IECパリ会議

初参加

 

1997/9、IECパリ会議

エッフェル塔

 

1999/3、IECシカゴ会議

 

1999/5、IECフランクフルト会議

 

1999/10、IEC東京会議

会議後の宴会で各国代表委員のご婦人方も参加。私がホスト役

 

1999/11、IECオスロ会議

 

2000/9、IECコペンハーゲン会議

(私は後列左3人目)

 

2000/11、IECクリアウォーター(Clearwater : Florida)会議

 
2001/10,IECヘルシンキ会議が20回目の出席となり、それを以って最終回となす。
 

その名を知らぬ者はおるまい。人生の最後は細川ガラシャと並び、いやそれ以上に過酷なものであった。アントワネットが生きたパリには私は20回以上訪問、通算で1年以上生活し、市内全域やヴェルサイユ宮殿に行っている。また、ガラシャの幽閉地である丹後半島の味土野(京丹後市)にも行っている。