小田急・成城学園前~代々木上原~徒歩・渋谷9
に続く。
旧・東急本店向かい
BRASSERIE VĪRON
ブラッスリー ヴィロン
私は最初バイロンと読むのかと思ったが(よく見るとフランス語であり)ヴィロンだった。
与謝野鉄幹作詞「人を恋うる歌」
一.妻を娶(めと)らば 才長(た)けて
みめ美(うるわ)しく 情けある
友を選ばば 書を読みて
六分(りくぶ)の侠気 四分の熱
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三.ああわれダンテ(*)の 奇才なく
バイロン(**) ハイネ(***)の 熱なきも
石をいだきて 野にうたう
芭蕉のさびを よろこばず
私はいつ初めて「人を恋うる歌」を知ることになったのか定かではないが(高3秋の
ファイアーストームだったか?)、一番の歌詞にあるように男性の歌であり大いにお気に入りである。なお、三番の歌詞にある3人の詩人をよく知らぬまま歌っていたが、
今回初めて詳しく調べた(下記通り)。
以下、インターネットよりコピペ
(*)
ダンテ・アリギエーリ(イタリア語:Dante Alighieri、1265年 - 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。政界を追放され放浪生活を送り文筆活動を続けた。ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』であり、他に詩文集『新生(La Vita Nuova)』がある。イタリア文学最大の詩人で、大きな影響を与えたとされるルネサンス文化の先駆者と位置付けられている。
(**)
ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron, 1788年 1月22日 - 1824年 4月19日)はロマン派の代表的詩人であり、ゲーテに「今世紀最大の天才」と賞賛される。奔放な女性遍歴、ギリシア独立運動への参加など波瀾の生涯を送るも熱病のため36歳で死去。
(***)
ハイネは1797年12月13日、デュッセルドルフのユダヤ人の家庭にハリー・ハイネ(Harry Heine)として生を受けた。ハイネの詩には多くの音楽家から曲が付けられており、とりわけ『歌の本』の詩からは多くの歌曲が生まれている。
渋谷センター街に入る
やきとり
センター
3・6・5酒場
(1年365日やっていると言うことか?)
2F
OuTBACK
STAKE HOUSE
一瞬、(カー用品の)autobacsか?と思った。
ヨシモト
YOSHIMOTO
∞
HALL
(以前も撮影・掲載した。)
下部中央
一瞬、(逆から読んで)丸善(=本屋)?
Tokyu
HANDS
PARCO