フランス語「quatre」の日本語表記問題

町田市にある小田急小田原線・玉川学園駅で下車し、南口から丘を越え北東にある横浜市青葉区緑山(後に美しき地名で登場予定)に2度目となる取材で行こうとしていた。丘から北東の下りは行き止まりの道が多く、結果的についつい東から南東に歩いてしまった。昭和薬科大学を過ぎ、成瀬台入口を左折(東入る)し、スーパー・いなげやの先、成瀬台2丁目交差点を左折(北入る)した。成瀬台3,4町目の角で菓子・ケーキ屋さんの「キャトル」と言う看板を見て「??」と思った。

理由は;

私はパリに20数回出張し、通算1年以上住んでいる。

「quatre」は数字の4と言う意味で発音記号は「katr」。実際にフランス人が「キャトル」と発音するのを聞いたことがない。(「キャ」と言うと英語のcanの同じ発音となってしまう)。普通「 カトウル」と聞こえるし(せいぜい「カトル」位か)自分もそう発音して来た。

「キャトル」さんにはHPにアクセス出来ず、e-mail addressの記載もなく、連絡出来ない。

最終的には緑山に行って、東急こどもの国線こどもの国駅から長津田駅田園都市線に乗り継いで帰宅した。

 

私は、下記HP(リンク出来ず、手書き入力願います)、

http://www8.plala.or.jp/hondatad/

1行目

「海外出張/旅行」(Overseas Business Trip/(Private Trip)はこちら

の中で紹介しているが拙著「日立エンジニアの多言語マスター体験」(リーベル出版)

を発行しており国会図書館に献本している(国立国会図書館No.KE29-E35)。

多言語の中に、英語、中国語に次いで得意の「フランス語」も入っており、6枚の写真の後に内容の一部を抜粋し掲載しておく(数字の話もあり)。

 

 

玉川学園駅南口

 

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キャトル

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「日立エンジニアの多言語マスター体験」よりの抜粋

エンジニアのフランス語学習体験

1.フランス語の学習

  大学では第二外国語としてドイツ語を選んだ。フランス語は、フランスという国からしてドイツに比べ軟弱な感じがしており、女性が学ぶものというイメージがあった。それがビジネス上、フランス語に関係することとなり、持ち前の何でもやってやろうで始めたのである。

 その契機とは2回目の南アから帰国の翌年、即ち入社10年後伊藤忠(CI)殿経由アルジェリアからの大型圧延機(機械、電機)の見積引き合いであり、まずは電機品の英文見積仕様書を作成し見積説明会のためパリ経由アルジェリアに入ったのである。フランス語は南アからの帰りにパリで初めて接しているものの、その後フランス語に関係するとは夢にも思わなかった。その時初めてフランス語はビジネスの現場に直接現れたのである。アルジェリアで1週間、帰りパリで1泊し帰国した。次いで1ケ月後パリで2週間、フランスのコンサルタント会社との技術打ち合わせや、その結果として仕様が変更となり、その仕様に見合う訂正見積、フランス・メーカーからの国際調達の引き合いを行った。その頃のフランス語のレベルはボンジュール(Bon jour 今日は)、メルシ(Merci 有り難う)、オールボアール(Au revoir さようなら)の如き挨拶語や数字の読み方で数10位まで交通公社発行のポケット・インタープリター、六ケ国会話などを見てすぐ憶えたし、さらにパリのホテルのレセプションで英語でフランス語を教わっていた。

 本格的にフランス語の勉強を始めたのは、その4ケ月後いよいよ弊社が受注出来そうになり長期戦でアルジェリアの顧客のもとで仕様打ち合わせを行うこととなり東京・日本橋丸善でフランス語の本とテープ3巻、計27、400円也を購入してからである。その本とはA.CHREL著の

「ASSIMIL spare-time daily courses

 french without toil」という英語で書かれたフランス語の解説書でやさしい英文で書かれており、英語の勉強も併せやろうという人にはお薦め出来る本である。

 契約書がフランス語になるということで日本の翻訳会社に英文仕様書から仏文仕様書に翻訳してもらいそれをベースに打ち合わせが始まったのである。

 

3.フランス語のおもしろさ

  アルジェリアではフランス語とアラビア語が話され、英語は一流ホテルでも通じない。生活してゆく為にはフランス語の学習は欠かせない。仕事上では商社が通訳をアレンジして頂けるのでそれでやってゆけないことはないが、それでは一人で生活が出来ずいつも通訳がいないと不自由極まりないことになってしまう。それは私の主義に反することである。

 まず生活面では毎日ホテルのレセプションでキーの受け渡しで話すことになるし、レストランで注文もしなければならないし、偶には銀行でUSドルをアルジェリア・ディナールに両替に行かねばならない。更にはパリに出るのにエール・フランスかエアー・アルジェリーにフライトの予約に行ったりしなければならず必要性からフランス語を学習し、実践してきた。

 具体的には最初は誰とこういう話をしようという時は、予め交通公社発行の「六ケ国会話」の文章を暗記したし、その文法的な裏付けはASSIMILの本の関係ある頁を勉強した。それとは別に毎日顧客との打ち合わせ後、日本へのテレックス(TLX)による報告後時間的に余裕がある時に、また休日にも

ASSIMILの本を前から順に読み、ベッドに寝転がってテープはかけっ放しで聞いていた。そうした努力もさることながらやはり一番上達した要因は顧客との打ち合わせにあった。

 打ち合わせは前述の如く通訳がいて私が日本語で喋るとフランス語に通訳され、顧客がフランス語で答えると日本語に通訳されるのである。これはまさに日本語をフランス語でどう言うかの真っ只中にいる訳でこれ程の恵まれた環境はない。

最初の頃はちんぷんかんぷんであったのが暫くすると一部が解ってくる。それは

テクニカル・タームと数字であった。数字は文法に関係なく、とにかく1から始まり数千、数万まで自分ですぐ言えて人が言うのを理解できるよう勉強しておけばよい。打ち合わせの中で数字が飛び交うがまずその部分が理解できる。その数字の数え方は他の言語にないフランス語特有のものである。

 1、2、3...なら

 アン(un)、ドウ(deux)、トロワ(troi)...でありご存知の方は多いと思う。それではその後は?

      4    カトウル         (quatre)

   5  サンク         (cinq)

   6  シス          (six)

   7  セット         (sept)

   8  ユイツ          (huit)

   9  ヌフ          (neuf)

  10  ディス         (dix)

  11  オンズ         (onze)

  12  ドウーズ         (douze)

  13  トレーズ        (treize)

  14  カトウルズ        (quatorze)

  15  カンズ             (quinze)

  16  セーズ         (seize)

  17  ディスセット      (dix-sept)

  18  ディスイット      (dix-huit)

  19  ディスヌフ       (dix-neuf)

  20  ヴァン         (vingt)

  21  ヴァンテアン      (vingt-etーun)

   |

  30  トウラントウ       (trente)

   |

  40  カラントウ        (quarante)

   |

  50  サンカントウ       (cinquante)

   |

  60  ソワサントウ       (soixante)

  61  ソワサンテ アン    (soixante et un)

   |

  70  ソワサントウ ディス   (soixante-dix)

  71  ソワサンテ オンズ   (soixante et onze)

   |

  80  カトウル ヴァン     (quatre-vingts)

  81  カトウル ヴァン アン  (quatre-vingt-un)

   |

  90  カトウル ヴァン ディス (quatre-vingt-dix)  

       91  カトウル ヴァン オンズ (quatre-vingt-onze)              |

 100  サン          (cent)

   |

1000  ミル          (mille)   

 

 これでお解りと思う、

  70 は 60+10

  80 は 4×20

  90 は 4×20+10

 となっている。

色んな言語を学んだがこのような数字の数え方をするのは初めてである。

 それと数字の桁、小数点を表すカンマ(、)、ピリオド(.)の使い方がフランス語では逆になっており、日本で

 1,000.3 と表すのはフランス語では、 

 1.000、3 となるのである。

 

4.フランス語の挨拶

 最後のアルジェリアからの帰国後、フランス語の基礎から発音、文法を学ぶべく東京・お茶の水水道橋駅からも近い)のアテネ・フランセに通うことにした。 最初は小泉先生(女性)の「入門科」で月、水、金の週3回、退勤後の

18.30~19.20の50分間を2ケ月通った。テキストは

G.Mauger著の、

「Cours de Langue et de Civilisation

 Francaises 1」でLecon(レッスン)1~10までであった。非常に易しかった。引き続き夏期講習として小村先生(女性)による「初等科」にこれまた月、水、金の同じ時間に6週間通った。テキストは同じものの

Lecon 11~22であった。終了間際に試験があり勿論合格であった。

 次いで「予備科」に入った。初めてフランス人の先生で

Mme Shantereau(シャントウロー)であった。月、水、金の今度は19.30~20.20で5ケ月通った。テキストは同じものの Lecon

23~44であった。ここまで来るとさすがに少し難しくなって生徒も1人減り、2人減りで当初100人以上もいたのが最後の頃には4、50人位になってしまっていた。授業はフランス語での質問にフランス語で答えるのであり、まず先生の質問の意味が解り、そしてその答えが解らないと答えられない。私の隣席の女性が答えに詰まっている時、先生から私に教えてあげなさいと言うので先生の質問はこういう事であり、こう答えれば良いと教えてあげた。

 そのクラスでは私は格違いにうまく、先生からどうして上達したのか質問があった。私は電機エンジニアでアルジェリアからの鉄鋼の大型プロジェクトの受注活動及び受注後の仕様打ち合わせで数年間にわたり、何度もアルジェリア、パリを行き来したこと等話した。アルジェリアで珍しい物はという問いには「砂漠のバラ」という名の石の話をした。先生はその石のことを知っていて皆に説明していた。このクラスでフランス語を話したのは私位のものであったろうか、授業終了後、皆感心しきりであった。前から本田さんは電機エンジニアだと思っていたと言ってくれる人もいた。予備科でも終了間際に試験があり、合格者は私を含め20名前後であった。合格証(Certificat)に先生がサインする時、誰か万年筆を貸してもらえないかと言うので、私のを貸して合格者全員の合格証にサインをして頂いた。

 その頃に伊藤忠・パリでお世話になった Mme Fermusに、帰国後このようにフランス語を勉強したということを手紙に書いた。彼女は子供向けのテレビ・アニメ「ペリーヌ物語」のペリーヌが成人すればこうなろうかというイメージにぴったりの美人で有能な人であった。テレビ・キャスターの宮崎 緑さんにイメージが似ている。

 アテネ・フランセでの学習は、私は大体所期の目的は達したし、週3回通うことに少し疲れて来ていたのでここまででやめた。実際その約半年後には東京本社勤務より茨城県日立市の大みか工場に転勤となり物理的にも不可能となるところであった。アテネ・フランセでは授業開始前の自習室の雰囲気も良く、女子大生が殆どという中で楽しく勉強できたことを懐かしく思っている。

 ただフランス語の全体レベルで見れば「予備科」卒業程度ではまだまだ低く、アテネ・フランセのそのクラスの上には本科に「中等科前期」、「中等科後期」、「高等科1年」、「高等科2年」、「高等科3年」まであり、特設科に会話コースもある。最高クラスは同時通訳養成コースである。